東のエデン 劇場版? The King of Eden

 全部書いたことが消えた。もう前書きをほとんど端折る。一言感想で言えば「TVでやれよ」。面白くないわけではなく、新たに謎が増えるので3月まで待てない。一気に劇場版で捲って欲しかっただけに残念。

 本題。僕はこのアニメはストーリーや謎云々ではなく、「日本社会」を表現する描写が面白くて観ています。このアニメを見て、いつも思い出すのは「希望は戦争」って言葉。今回の映画でも「ミサイルは落ちなかったけれど、それ以上の衝撃をこの国は受けた。けれど、閉塞感はどこかに消えた」みたいな表現があった。そして、これこそ「希望は戦争」そのものだけど、「既得権益」や「上がりを決め込んだ大人」って言葉が出てくる。「戦後からやり直す」ことで、物理的にゼロからスタートしようってことだよね*1。でも、それを滝沢が止めてしまう。滝沢は「物理的にゼロ」にしてレースをやり直すことよりも、「ニートを直列に繋いでやると結構なポテンシャルを発揮するんだ」という風に考えている。

 これは「東のエデン」のメンバーにも当てはまっていて、最初に平澤が啖呵を切った「東のエデンニートの楽園だ。ニートでない者の手は借りたくない」っていう話。「東のエデン」のメンバーもそれぞれがそれぞれにダメさ加減を抱えているが、皆を繋げてやると「東のエデンシステム」みたいな成果を出すことが出来る。問題は、ニートがそれぞれ分散してることであって、繋がれば「既得権益」を覆せるんじゃないかってことだと思う。

 で、ニートと非ニートのどちらが「人間的」であるのかって話を突きつけていて面白い。パンツ(板津)が「お前らはニート精神をする忘れるからあかんけえの」のようなことを言っていた。この前後には春日が好き勝手振る舞うニートにうんざりするシーンがあり、それを平澤が嗜めていた。僕はこの映画で一番押したい部分がココ。持たざる者が持つ者になって、「既得権益」になってしまう。そして、その「既得権益」を守るために自分たちを保守する。そんなに働いてどうするのよ?っていう問いかけがあって、うんうんと頷いていた。これは平澤が躊躇無く東のエデンシステムをダウンさせたことにも繋がる。

 消えたことで、思いつくままに書き連ねてメモ書きかチラシの裏になってしまったけれど、この国の正しさって本当に正しいのか、バカは死なないと直らないのかって、ことあるごとに突きつけられているようで面白い。

 僕は会社に捧げる人生なんてまっぴら御免だけど、自由を謳歌する勇気もないっていう中途半端な奴です。確かに、閉塞感ってのは社会人になったせいか凄まじく感じる。全く期待してなかったけれど、民主党の政権は日本を悪いように変化させているし。新興国もなんだか勢いが落ちてきたし。「円高なのに、金なくて海外行けない」みたいなことが一番象徴的なのかな。あー、この現状はどうやったら打破出来るんだろうか。

 というわけで、感想になりませんでした。実家に帰ったら小説を読もう。

小説 東のエデン (ダ・ヴィンチブックス)

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若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

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若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

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↑「既得権益×ニート」と聴いたとき、僕は赤城さんよりも城さんが頭に浮かびます。この本も雇用の流動性を説いた本。城さんはメディアに出ると、雇用の流動性を説いています。城さんの言い分も分かるんだけど、そもそも椅子が絶対的に無いんだから、流動的になっても「椅子から椅子へ」にはならないよねって思ってしまう。うーん、ベーシックインカム?。ここら辺の話も難しくて、わかんないや。勉強しよう。

*1:そんなことが出来るかどうかは知らんけど